ワルシャワ市街探訪

皆さんこんにちは。外苑ソーシャルアカデミーの山田です。7月22日(土)に日本を経ち、途中でワルシャワ市街に立ち寄り、最終的に無事オクスフォードに到着しました。

成田からワルシャワへは、ウクライナ戦争の影響で迂回しなければならず、飛行時間は14時間になりました。

ワルシャワへは初めて降り立ちましたが、街並みには旧共産圏の残り香と、ヨーロッパらしい街並みが残る非常に興味深い街でした。

まず、空港から中心部までいく高速鉄道への乗り換えは、床に書いてあるラインをたどっていけば乗り場に着くシステム。分かりやすいですね。

そして市街地に向かうこの高速鉄道が、まったく高速ではない。それでも空港が市街地のすぐ近くにあるので20分ほどで中心部にアクセスできます。

ポーランドの歴史は苛烈です。ここでは詳しく書きませんが、そんな歴史を物語る戦争のモニュメントがいくつもあったり、

なんとなく旧東欧の残り香を感じさせる建物や団地が沢山あります。

新市街にはキュリー夫人の生家を使った博物館が。偉大な研究者の足跡に触れることができます。

そうかと思えば、旧市街広場はヨーロッパらしい美しさが。

ここは旧市街広場。この広場にある建物はナチスドイツに全て破壊されたものを、「ヒビのひとつまで復元する」という精神で、すべて作り直されたものなのです。

こちらはワルシャワ出身のショパンの心臓が納められている、正十字架協会。ちょうど日曜日の礼拝の最中でしたが、お邪魔にならないように見学させていただきました。柱の中に心臓が埋め込まれています。

さて、ワルシャワでの用事はウクライナ人の友人を通じたウクライナの支援。この友人と出会ったのは12年前のオクスフォードですが、その時はまさかウクライナでこんなことが起ころうとは、私たちはもとより、誰も想像していませんでした。

すでに当時から中国の脅威を感じていた台湾や、当時テロが多発していたトルコの人たちは、地球上に安全な場所などもはやどこにもない、と言っていましたが、本当にその通りだと痛感します。

ウクライナ人の友人は安全のため、ウェブ上の顔出しはできません。しかし罪のない人たちの災禍は心が痛みます。彼女も居たくてワルシャワにいるわけではありません。災禍にあっている人がいれば、災禍にあってない人間が支援をする。もちろん私たちの生活にもいろいろありますが、彼らとは比較になりません。今の自分にできる範囲のことは何かを考えて、行動することが何よりも大切だと思います。今後も、出来ることがあれば、支援をしていきたいと考えています。

さてその後、私の方はワルシャワで食事をし、

フレデリックショパン国際空港から、一路ロンドンヒースロー空港へ。今度は3時間半ほどの空の旅です。ワルシャワは交通網も複雑で地理感覚がなく、少し苦戦しましたが、ヒースロー空港に到着してしまえば一安心です。空港からはバスを乗り継いでオクスフォードの大学寮に入りました。

これで夜の22時。まだ薄っすら明るいです。いよいよ久々のオクスフォードでの生活が始まります。

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