2026 特別企画展  杉原千畝 命のビザ

杉原千畝

東洋のシンドラーと呼ばれた日本人外交官  6000人のユダヤ人を救った杉原千畝とその後の物語

1993年に「シンドラーのリスト」という映画が大ヒットしました。モデルは第二次対戦中、ナチスがユダヤ人を迫害するなか、多数のユダヤ人を救ったことで世界的に有名になったドイツ人オスカー・シンドラー。1200人ものユダヤ人を救った実業家です。

ドイツの実業家オスカー・シンドラー

その頃、同じように大勢のユダヤ人を救い続けた日本人外交官がいました。名は杉原千畝。その功績から東洋のシンドラーと呼ばれ有名になりましたが、実は杉原が救ったユダヤ人はシンドラーよりはるかに多かったといわれています。混乱期ゆえに正確な数が明確になっていませんが、発給したビザは2139枚から約3,500枚。ビザは家族単位で発給されることも多く、少なくとも6,000人以上が救われたと考えられています。

杉原千畝の生涯

杉原千畝は明治時代に生まれ、その後大正・昭和と激動の時代を生き抜いていきます。その生涯を追いかけてみましょう。

千畝の生い立ちと外交官になるまで

1900(明治33)年、岐阜県で生まれた千畝。幼少期は父親の転勤で各地を転々としたのち、中学時代からは名古屋で生活することになりました。

その後東京に上京してきます。早稲田大学で学んだ千畝は、1919(大正8)年に外務省国費留学生試験に合格し、ロシアスクール(ロシア語専門グループ)の留学生としてハルビンで外交官としてのキャリアをスタートさせました。

若き日の杉原千畝

当時ハルビンには多くのロシア人が居住し、ロシア語の習得に適した場所だとされていました。千畝はハルビンでロシア語の習得に邁進することになるのです。

ロシア語専門家から在カウナス日本領事館へ

誠実にロシア語を学んだ千畝のロシア語力はメキメキ上達し、やがて教わる側から教える側へと立場が変わっていきます。いつしか千畝は、外務省においてもロシア語の第一人者と見られるほどの実力になっていきました。

その後外務省で順調にキャリアを重ねた千畝は、ヘルシンキのフィンランド大使館等での勤務を経て、第二次世界大戦勃発直前の1939(昭和14)年8月、リトアニアの在カウナス日本領事館の領事代理となります。

当時、ドイツではヒトラー率いるナチスが台頭。1933年にドイツにおけるナチスの独裁政権の成立と同時にユダヤ人への迫害が始まり、千畝のリトアニア赴任時はその動きが激しくなっていた時期でした。

ナチスの勢力拡大とユダヤ人たち

ナチスがヨーロッパに勢力を拡大していくとともに、ユダヤ人排斥運動が多くの国に広がりを見せるようになります。1939(昭和14)年、当日ヨーロッパ最大のユダヤ人社会が存在していたポーランドに、ナチスドイツ・スロバキア軍隊、およびソ連が軍事侵攻を開始。首都ワルシャワは徹底的に破壊され、ユダヤ人に対する排斥運動も盛んに行われました。ポーランドがナチスドイツとソ連に分割されるなか、膨大な数のユダヤ人たちがポーランドから他国への脱出を試みることになったのです。

脱出を試みたポーランド系ユダヤ人の一部は、中立国であったリトアニアへの脱出に成功しました。しかし、ホッとしたのも束の間、翌昭和15年にソ連軍がリトアニアにまで進駐してきたのです。

軍事侵攻のイメージ

ソ連はそのままリトアニアを実質的に併合することが確実になり、ようやくリトアニアに避難していたユダヤ人たちは、再び避難を余儀なくされました。

日本領事館に押し寄せるユダヤ人たち

1940(昭和15)年7月18日、リトアニアに避難していた大勢のポーランド系ユダヤ人がリトアニアからの脱出のため、杉原千畝のいる日本領事館に殺到しました。彼らは通過ビザの発給を求めて日本領事館を訪れたのです。

しかし、彼らのほとんどは日本政府の定めたビザの発給条件を満たしていませんでした。

杉原千畝はユダヤ人に迫る危機と緊急性を認め、すぐに外務省と連絡をとり、緊急措置として彼らへの通過ビザ発給の許可を求めました。しかし外務省からの返答は、「ビザの発給要件を満たさぬ者へのビザの発給は許可しない」というものでした。当時ビザを発給するには、渡航先の入国許可手続を完了しており、旅費や滞在費などを確実に持つ者といった条件があり、千畝にはその条件の厳守が繰り返し伝えられてきました。外務省としては、行き場のない難民の対応をすることが難しいという事情がありました。また当時の日独伊三国同盟の締結が間近だったという政治的な事情も関係していたと考えられます。

千畝の葛藤と決断

杉原千畝は葛藤しました。外交官という公職にある立場ではあくまでも職務命令に従うのが筋。官僚が国家の命令に背くことは許されません。しかし今は非常事態。緊急避難的に官命に眼をつぶってでも、ユダヤ人たちの命を守ることが人としてとるべき道ではないか。

しかし外務省の指示に従わないというのは職務命令に逆らうということ。おそらく外交官の職を罷免されることが予想されました。外交官を罷免されれば、千畝の外交官として積み上げてきたキャリアは水泡に帰し、生活に困ることになります。

千畝は葛藤しましたが、どうしてもユダヤ人たちを見捨てることができず、妻の幸子に話しました。

「領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう?」

この千畝の問いかけに、幸子はこう答えたといいます。

「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけど、そうして上げて下さい」

妻の言葉もあり、千畝は職務命令よりも人命を優先することを決断。ユダヤ系避難民に対し、独断でビザ発給を始めたのです。

限界までビザを発給し続けた千畝

それからというもの、千畝は寝る間を惜しんでビザを書き続けました。ひたすらペンを動かし続ける日々。しかし一日中書き続けたことで、腕を痛めてしまいます。それでも千畝は書き続けました。

しかしリトアニアをめぐる情勢も切迫し、領事館も閉鎖が決まります。千畝にも日本政府とソ連の双方から退去命令が届きました。そんな状況でも千畝は粘り続け、約一カ月にわたって彼は査証を発行し続けました。

しかし1940年8月31日、いよいよ千畝もカウナスを退去せざるを得ない時がやってきます、しかし千畝は列車がカウナスを出発するまでビザを書き続けました。このビザのおかげで多くのユダヤ人がリトアニアから脱出することができ、のちに「杉原千畝の命のビザ」とよばれるようになりました。

千畝の行動の意味とは

この話は仕事の命令や決まりごとよりも人命の方が大事という、ひどく単純なエピソードとして受け取られがちです。しかしこの話の本質はそこではありません。

彼は見ず知らずの他国の人々の命を救うために、外交官を罷免になることを覚悟しました。すなわち、彼が数十年間かけて積み上げてきた外交官としての実績、そして自らの家族の生活まで、彼らを救うために捨てる決断をしたのです。これは簡単にできることではありません。千畝は自分が「どうしたいか」ではなく、「どうすべきか」を判断基準にしたのだと言えるでしょう。

私たちは杉原千畝の決断と行動から学ぶことが沢山あるはずです。他者の気持ちがわかる共感力、困っている人に深く寄り添うことができる優しさ、そしてたとえ罷免されても彼らを救えるならと思える自己犠牲力、そして保身よりも正しいと信じる道を進むことができる自分でありたいという強さ。昔の日本には、精神が成熟した大人がいたのです。

千畝のその後

1947年、日本に帰国した彼を待っていたのは、予想通り外務省からの辞職勧告ごあったという説が有力です。

杉原は潔く静かに外務省を去りました。

その後の千畝は、長年の外国での経験を生かして民間商社の駐在員などに転身しました。しかしビザのことについて語ることはありませんでした。

それから20年以上の時が流れました。

1968年、突然一人のユダヤ人が千畝に連絡してきたのです。一度は埋もれかけ、忘れ去られようとしていた命のビザの物語。ここからこの物語は急展開を迎えることになります。これは世界中のユダヤ人たちが杉原を探し続けていたもう一つの物語なのです。

さらにもうひとつ、また別の物語が始まっていました。戦時中、千畝が必死で書き続けた通過ビザを握りしめ、リトアニアを脱出したユダヤ人たち。彼らは長い旅路を経て、ようやく日本にたどり着きます。彼らが降り立ったのは福井県の敦賀港でした。この敦賀には、千畝からのバトンを受け継ぎ、このユダヤ人たちを支え続けた人々がいました。ここにもうひとつの知られざる物語が生まれたのです。

2026 特別企画展 杉原千畝 命のビザ

これら2つのストーリーはどのようなものだったのでしょうか。この物語について、2026特別企画展「杉原千畝命のビザ」が2026年10月11日(日)に開催されます。この日は特別に、千畝のご家族の杉原まどかさんや、敦賀の博物館「敦賀ムゼウム」の方など、千畝にもっとも近い人々、千畝の遺伝子を受け継いだ人々が集まります。この企画展では先ほどの知られざるストーリーをはじめ、ご家族の視線からの千畝の「リアルな葛藤」やその後の話まで語っていただく予定です。

ご家族の声が聞ける機会はなかなかありません。関係の皆さんはこの日のために上京して下さるので、とても貴重な機会です。真実の杉原千畝に迫ることのできるこの機会を逃さないようにしてください!

▪️日時 2026年10月11日(日) 13時30分〜

第一部 13時30分〜、第二部 15時00分〜、第三部 16時50分〜

▪️出演

第一部 新井晴み(女優)

第二部 杉原まどか(NPO法人杉原千畝命のビザ理事長)

第三部 人道の港敦賀ムゼウム

ほか

▪️会場 

 千葉大学 西千葉キャンパスけやき会館

 JR中央総武線西千葉駅より徒歩7分

 13時30分 第一部開始

▪️お申し込み

本特別展の参加にはお申し込みが必要です。

お席の確保(ご予約)は先着順となりますが、外苑ソーシャルアカデミーの限定枠でのご予約が可能です。こちらからお申し込みください。

↓お申し込みはこちら↓

まもなく募集を開始します。募集開始までしばらくお待ちください。

▪️協力

NPO法人杉原千畝命のビザ

社会福祉法人福田会

人道の港敦賀ムゼウム

千葉県海外子女教育・国際理解教育研究会

千葉大学教育学部グローバル研究会

外苑ソーシャルアカデミー

▪️主催 千葉大学教育学部国際交流委員会

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