スペインのイスラム建築の美しさ アンダルシア地方とイスラム教

著者 : GSAアソシエートフェロー 岡田麻衣

『スペイン』という国に対してあなたはどのようなイメージをお持ちだろうか?また、スペイン文化と聞いたときにどのようなものを例に挙げるだろうか?民族衣装や音楽、食文化どれをとっても他のヨーロッパの文化とは一風変わった独特な雰囲気をまとっている。ではその「独特」を創り出しているのは何なのだろうか。本コラムでは前回のポルトガルに続き、大航海時代にその名をはせたスペインの独特な世界観の謎について迫っていく。

スペインはポルトガルと同様に大航海時代の先駆けとなり、スペイン王室の命を受けたコロンブスをはじめとする英雄たちが海を渡っていった。コロンブスの墓があるセビーリャという都市をご存知だろうか。セビーリャはスペイン南部アンダルシア州の州都であり、魅力的な観光地としても知られている。このアンダルシア地方はスペインの歴史の中でも重要な部分を占めており、ここにスペイン特有文化の謎をとく鍵か隠されている。この地に何があり、どんなことが関係して今の文化が形成されてきたのだろうか。

スペインにおけるイスラム支配の歴史

スペインの宗教と聞くと、皆さんの中ではどんな宗教が思い浮かぶだろうか。現在のスペイン人の多くがカトリック教徒であることから考えて、キリスト教を思い浮かべる方も多いかもしれない。しかし世界史を選択した方はよくご存知のように、スペインの位置するイベリア半島は実に800年もの間、イスラム教勢力によって支配されていた過去を持つ。

711年、イスラム教勢力であるウマイヤ朝が北アフリカからこの地に侵入し、キリスト教勢力だった西ゴート王国を滅ぼした。これを機に今のポルトガルとスペインが位置するイベリア半島でのイスラム教徒による支配が始まったのである。

その後、1492年までイスラム王朝とキリスト勢力のせめぎ合いが続くことになる。カトリック教徒たちが自分たちの土地を取り戻そうとする動きが有名なレコンキスタ(国土回復運動)だ。だが、この期間にイスラム教とキリスト教が不思議な形で融合し、スペインのあの独特の文化が形成されていった。特に、本コラムで取り上げているセビーリャをはじめとするアンダルシア州は最後のイスラム教の都となったため、他の地域に比べてその名残が色濃く残っている。イスラム教こそがスペイン文化の形成に味を加えているカギなのだ。

イスラムの特徴が現れるスペインの建築

両宗教の文化の融合が分かりやすく体感できるのが建築物だ。イスラム建築は特定の型を基としながら、古代ローマやイスラム教徒が征服した他のすべての土地から影響を受けており、それぞれの地域で特有の魅力を持っている。イスラムの世界観や宗教観をベースに持ちながらも、その土地の文化や美意識を吸収していった。

その多くはヨーロッパ建築とは違う建築スタイルをもち、特徴的な構造、精緻な幾何学模様、そして独特の色使いで異国の香りが濃厚に漂うものだ。その美しさに多くの人が魅了されてきた。

スペインのイスラム建築には特に見るべきポイントが3つある。不思議な香りのするこの地を訪れる際に、より分かりやすく興味深く見ていただけるように、この3つそれぞれの特徴とおすすめの楽しみ方をご紹介していこう。

建物を彩る独特の彫刻 アラベスク

今回の旅で私が訪れたイスラム建築のひとつが、セビーリャのアルカサル(Real Alcázar de Seville)という宮殿群である。

ここは現在スペイン王室の宮殿になっているが、14世紀に時のカスティーリャ王の命令で建造され、その後15世紀・16世紀に増築を重ねてきた。もともとイスラム宮殿であった場所に作られ、その世界観を継承しながら形作られていった宮殿だ。

アルカサルの建物に入った瞬間目に入ってくるのは、他に類を見ないほど色鮮やかで洗練された装飾に彩られた空間だ。

華やかな装飾で埋め尽くされた、まるで未知の世界に迷い込んだかのような場所。使われているのは濃い色ばかりで、深みのある青色やターコイズブルーを中心に、日本ではあまり見かけない色たちが不思議な調和を見せている。そんな独特の色彩に華やかさを足していくゴールド。もちろんわ決して嫌な派手さではない。未知の世界観に圧倒され、まさしく「息を飲む」出会いだった。

この独特な華やかさを演出しているのは、色彩ばかりではない。彫刻をはじめとする「アラベスク」と呼ばれる装飾である。イスラム教では「神の前ではみな平等」と考え、偶像崇拝が完全に禁止されている。そのため、建物に施された彫刻にも、神仏や人物像は一切なく、コーランの言葉や幾何学模様、植物の模様などで装飾が構成されている。アラビア文字もデザインとして描かれているのだが、それらは模様の中に巧みに溶け込んでおり、ネイティブでさえ気づかないほどだという。

また、彼らには「空白」に対する恐れがあるとも言われ、隙間なく鮮やかな模様で敷き詰められているのも大きな特徴だ。日本の場合、書道や庭園でもお馴染みのように「余白」や「空白」を楽しむ文化である。イスラムの芸術はある意味日本文化の対極にあり、この地を訪れて自分の目で見てみれば、両者の文化の違いやそれぞれの魅力を楽しむことができると思う。

アラベスクを見るチャンスが訪れたら、ぜひこれらのポイントに留意して鑑賞することで、イスラム世界が体現する美の文法を把握してほしい。文化世界によって「美」の在り方は多様なのだ。もちろんお気に入りの柄や色使いを見つけたり、天井を眺めながらその美しさに吸い込まれるような感覚に身を任せてみてはいかがだろうか。

日本では馴染みのない色の調和は、見ているだけでイスラムの世界に引き込んでくれる。日本や他のキリスト教文化の芸術とはまた違う独特の荘厳さがある。スペイン、アンダルシア地方のイスラム建築は、豪華絢爛というほどの華々しさはない。しかし、端正で落ち着いた雰囲気を持っており、レコンキスタの中、最後のイスラム王朝を守ろうとした教徒たちの芯の強さが垣間見えるような「厳格さ」を楽しめるだろう。古い街はどこでもそうだが、建材は大理石やレンガなど、その土地の資源が使われているため、建物の色が限られている。ここでは白を基調としているため、一言で言うと地味であるが、一度建物の中へ足を踏み入れると、そこには鮮やかでエキゾチックな世界が待ち受けている。この対比もまた一つの楽しみとなるだろう。

不思議な空間への入り口 馬蹄形アーチ

イスラム建築の特徴として挙げる二つ目のポイントはアーチである。日本をはじめとするアジアの建築物にはあまり見かけない形だ。アーチにはさまざまな種類があり、尖頭アーチ、馬蹄形アーチ、多葉アーチといった種類がイスラム建築ではよく使われている。土地や建てられた時代によって使われているアーチの種類も異なっており、セビーリャなどアンダルシア州にあるイスラム建築物では馬蹄形アーチが多く見られる。アーチのルーツはメソポタミアまで遡るが、多様化したのはイスラム建築によってだった。

アーチが作られるようになったのは使える資材に限りがあったからだという。イスラム教の国々の多くでは降水量が限られており、建築の要になる材木を満足に調達することが難しい。そのため石やレンガで強度のある建物を建てるための工夫がこのアーチなのだ。石やレンガをただ積み上げたものに比べ3倍もの強度を誇るそうで、広々とした空間に高い天井を持つモスクなどを支えるには強度が必要不可欠だったのだ。

セビーリャなどのイスラム建築でよく目にする馬蹄形アーチは、その名の通り馬の蹄のように円形に対して下に向けてくびれた形をしている。この馬蹄形アーチのデザインの違いに注目して歩くのも面白い。よく見ると大きさや色、デザインも少しずつ異なっていて、アラベスクが蹄の部分に施されているものや、アーチの中に彫刻が施されているもの。オレンジとホワイトの石が交互に並べられた縞模様のアーチなど多様なデザインがある。部屋を使っていた王や王妃の好みが如実に出ているものもあるので、気になるアーチがあったら誰の部屋だったのかその人物について少し踏み込んで調べてみると、ただの旅行から一つステップアップした歴史に触れる旅を楽しめるだろう。

王族たちの安らぎの中庭 パティオ

3つ目のイスラム建築の特徴として挙げるのはパティオ、すなわち中庭である。スペインのイスラム建築の多くには、このパティオが見られ、それぞれ異なった趣を見せている。

パティオの条件はいくつかあるが、その一つには噴水があることだ。イスラム世界は熱い気候の国々が多く、水はとても貴重だった。特に熱風や砂漠地帯では、その風が運んでくる砂嵐など厳しい自然との戦いが強いられる。厳しい気候条件ゆえに、建物や塀に囲まれた庭に、涼を得るための植物と水があることはありがたいことだった。スペインのイスラム建築に限らず、砂漠の中の生活をしていた彼らにとって、暑さから逃げられるパティオはまさしく「楽園」であり、これが英語の楽園を意味する「paradise」の語源ともなった。

砂漠に囲まれた環境下では植物は少なく、庭園は水が中心の要素となった。王であれ市民であれ暑さは襲ってくる。この時代には扇風機もエアコンもなく、水の流れる音や水面の眺めに涼を求めていたのだ。遠くの山から水を引いてきたことから、王宮のパティオにだけでなく、周辺の家々や乾いた土地を潤すことも可能となった。限られた水で効率よく灌漑するために、碁盤の目のように水路を通してあり、それがイスラム庭園を代表する形式となっている。

たくさんの緑に季節の花々が咲き乱れ、噴水が豊かな水を噴き上げる庭園。乾燥し、実現することが難しいからこそイスラムの人々は天上の楽園への憧れが強かった。また、水は富の象徴でもあり、遠く離れた場所から水を引いてきたり、高台に水を引き上げることは、その人の富と力を見せつけたのである。

特にグラナダのアルハンブラ宮殿は高台に位置しており、その敷地でも特に高い場所にパティオが設けられている。王の謁見に来た者はそのパティオを見て、王の力に恐れを抱いたことだろう。

パティオの楽しみ方は、なんといっても噴水を見ていくことだろう。私は今回の旅の中でイスラム建築を3つ訪れ、噴水に魅せられてしまった。パティオごとに全く異なる噴水があり、美しい水面は眺めているだけで時を忘れることができる。建設当時から変わらないその姿は、歴代の王や王妃たちもこの場に立ち、同じ景色を見ていたのであり、ここに来れば彼らの心象風景に近づくことができるのだ。

パティオに見られる噴水の種類はさまざまだが、アルハンブラ宮殿の「ヘネラリフェ」にあるパティオが私のお気に入りだ。ここは王たちの夏の離宮であり、50mもの水路が走るパティオをもつ。豊かな緑と花々に水路が囲まれたとても美しいパティオだ。このヘネラリフェは丘の上にあり、グラナダの街を見ながら涼と花々を楽しむことができる。アラブの人々が強く憧れた「天井の楽園」に最も近いパティオはここ。次回詳しく紹介したい。

今回は、イスラム建築を楽しむためのポイントを押さえてきた。次回はスペイン・アンダルシア地方に現存するイスラム建築の中でも、特におすすめしたい3箇所の建造物をご紹介していきたい。スペインを訪れる際は、ぜひ立ち寄ってみてはいかがだろうか。1箇所目はセビーリャのReal Alcàzar de Seville、2つ目はマラガのAlcazaba of Málaga、3箇所目はグラナダのAlhambraだ。どの建物もデザインや役割が異なっており、1つの旅の中で巡っても飽きることなく楽しむことができるはずだ。次回、1箇所ずつ見どころとともに詳しく紹介していきたいと思う。




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